東北とともに歩んだ10年間
10年の「絆」を振り返り、未来へつなぐ
2011年3月11日、東日本大震災発生。
私たちは、甚大な被害を受けた仙台自社工場の復旧を進めるなかで、考えました。
「私たちだからできる、私たちにしかできない復興応援とは何だろう」
なにが正解かはわかりませんでした。
ただ、1人では難しいこともみんなで協力し合えばできる。
子どもたちが笑顔になると、周囲の大人たちからも笑顔がこぼれる。
先が見えない日々のなかで、たしかな希望を見出せたのは、そんな人と人をつなぐ「絆」の力があったからでした。
“絆が復興の原動力になる”私たちはそう実感し、動き始めました。
震災から3ヶ月後、“絆を育む”をテーマに据え「復興応援 キリン絆プロジェクト」を発足。
被災地で暮らす人、働く人をはじめ、東北の地に関わりを持つ、多くの方々とともに、さまざまな活動に取り組んできました。
あれから10年。
手探りの状態からスタートした「復興応援 キリン絆プロジェクト」はキリングループ全体に及ぶ大きな動きへと広がり続けています。
今、ここに「復興応援 キリン絆プロジェクト」の軌跡を記すこと。
それは、ただ過去を振り返るためではありません。
東北で起こったこと、人々の想いや体験を次世代へと伝え、未来を照らす灯台のように、これからの時代の道しるべにできたなら。
そんな、過去と未来をつなぐ新たな「絆」を紡ぎだします。
これまでの歩み
「復興応援 キリン絆プロジェクト」がスタートしてからの10年間。これまでの活動変遷をプロジェクトの一部とともにご紹介します。
東北との絆、わたしたちの想い
サッカーの力を信じて。「JFA・キリンビッグスマイルフィールド」がつないできた笑顔のパス
キリングループは1978年からサッカーを応援。日本唯一のサッカー統括団体であるJFA(公益財団法人日本サッカー協会)とは40年以上にわたり、手を携えてきました。その絆から生まれたのが、サッカーの力で被災地の皆さんを応援する「JFA・キリンビッグスマイルフィールド」です。名称変更とリニューアルを経ながらも、プロジェクトの開始から10年。運営に携わる2人が活動の軌跡を振り返るとともに、未来にもたらすべき価値を語り合います。
飲料から広がる絆。生産者と開発者が語る『小岩井純水東北ミックス』への想い
災地の皆さんが各地で立ち上げたプロジェクトと手を携え、継続的な支援に取り組んできた「復興応援キリン絆プロジェクト」。そのひとつが福島県の果樹農家による「“桃の力”プロジェクトー福島には本当のおいしさがあるー」です。そして今年3月2日に発売になるのが『小岩井純水東北ミックス』。東北6県の果物を原料に、福島からはキリン絆プロジェクトでともに活動をしたた果樹農家の桃を使用していますが、桃農家のおふたりと飲料の開発を務めたキリンビバレッジの社員が、この10年に築いてきた「キリン絆プロジェクト」そして、それぞれの絆に対する想いについて語り合います。
ワクワクするビールの未来を。東北のブルワリーと共に創るこれからのビアカルチャー
ビールの原材料であるホップの一大産地として知られる岩手県。この産地を支えてきたキリンビールと、東北クラフトビール界を牽引する「いわて蔵ビール」。2社の出会いは、東日本大震災をきっかけに結成された「東北魂ビールプロジェクト」へ、2017年にSPRING VALLEY BREWERY(以下SVB)が参画したことがきっかけです。クラフトビール文化を発展させるための協働体制について、そして、それぞれの想いを語ります。
復興からその先へ。「農業トレセン」が築き、「東北絆テーブル」が照らす未来
東日本大震災の復興支援としてスタートした「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」、通称「農業トレセン」。復興はもちろん、その先の未来をも見据え、次世代の農業経営者を育成するためのプログラムです。この取り組みは現在、全国規模に拡大。地域が生み出す食の魅力を発展させ、日本各地につなげる役割を果たしてきましたが、震災から10年の節目を前に、新たに始まったのが「東北絆テーブル」です。東北の地域振興に深く携わり、「東北絆テーブル」の指揮も執るキーパーソンと、東北の経営者の想いをよく知るキリンビールの営業担当が、復興と地域振興の軌跡、そして未来について語り合います。
広がる、つながる。活動の輪
明日に向けて
10年前、復興応援から動き出した私たちの活動は新しい地域や社会、さまざまなコミュニティの在り方など、
持続可能な「絆」づくりのかたちを模索するなかで復興応援の枠を超えたものへと広がっています。「よろこびがつなぐ世界へ」
これは、私たちの目指す未来と願いをあらわす2019年に生まれたキリングループのコーポレートスローガンです。
この言葉が生まれた背景には、「復興応援 キリン絆プロジェクト」を通じて東北の人たちとの間に生まれた
数え切れない「絆」と「よろこび」の存在がありました。
一企業としてだけではなく、地域や社会というコミュニティの一員として、
そしてキリンだけでなく多くの方々と一緒に、次世代にどう遺し、伝えていけるのか。
この問いには、きっと終わりも正解もありません。
だからこそ私たちは、これからもさまざまな課題と向き合いながら、歩み続けていきます。