「CSV経営」の源流と歩み

キリングループが初めて「CSV」という言葉を掲げたのは2013年のことですが、CSV経営の源流はそれ以前に遡ります。キリングループが歩んできた歴史を紐解いて、その真実を探りたいと思います。

復興支援を通じて見えた、社会貢献のあるべき姿

キリングループがCSV経営を経営の基軸に据えた直接のきっかけは、2011年3月11日に日本で発生した東日本大震災です。キリンビール仙台工場も震災の影響でビールのタンク4基が倒壊し、津波により工場内設備は大きな被害を受けました。復旧の目処も立たないほどの状況に、一時は仙台からの工場撤退の声も上がりました。しかし、被災した地域経済の復興を先導こそすれ、決して足かせになってはならないと、懸命な努力によって仙台工場は同年11月に操業を再開しました。

  • 被災した仙台工場

  • 津波流入時の構内

同年7月からは「キリン絆プロジェクト」を結成し、最終的には約65億円の復興資金を寄贈しました。絆プロジェクトは一定の成果を示すことができたものの復興への道のりはまだ遠く、寄付を続けるのには限界がありました。地域への貢献を持続していくには、仙台工場の復興のように事業を通じて行う以外にないという気づきを得たのです。

そこでキリングループが注目したのが、2011年に米国の経営学者であるマイケル・ポーター教授が提唱した「Creating Shared Value(CSV)」でした。CSVとは、イノベーションによって社会課題の解決を事業化することです。これであれば事業で創出されたキャッシュを再投資することで社会課題の解決を持続、拡大できます。寄付のように予算の制限を受けることもありませんし、社会への持続的な価値の提供が可能となります。キリングループは、2012年10月に発表した長期経営構想KV2021でCSRからCSVへの転換を宣言、翌2013年には日本で初めてCSVの名称を使った部門(CSV本部)を発足させ、本格的にCSVを経営の基軸に据えました。

  • Shared Value Leadership Summit講演にて(2014年3月;ニューヨーク)
    ポーター教授(右)と当社 磯崎(左)

「長期経営ビジョン」(1981年)と医薬事業への参入

キリングループがCSVという言葉を表明したのは2013年のことです。しかし、実はさかのぼること数十年も前から、のちのCSVにつながる考え方を実践していました。その象徴が、1981年に策定された「長期経営ビジョン」において、新規参入分野としてライフサイエンス事業(現:医薬事業)を掲げたことです。

事業の多角化自体は1970年代から活発に行われており、洋酒事業(キリンシーグラム)や乳業(小岩井乳業)が誕生しました。ただ、この時代の多角化は既存事業であるビールや清涼飲料の流通チャネルを活かすのが狙いであって、社会課題の解決を意識したものではありませんでした。また、「長期経営ビジョン」以前も私たちは社会貢献を行っていましたが、福祉事業への寄付や企業広報を目的とするスポーツや文化活動の後援といった事業とは離れた活動であり、経済的なリターンを意識したものではありませんでした。

一方、「長期経営ビジョン」による医薬事業への参入は、高齢化という社会課題の解決に貢献することを目的に、祖業であるビール事業で培った発酵・培養技術を、バイオテクノロジーによる医薬開発に転用する、という経営戦略でした。つまり、「長期経営ビジョン」はキリングループが経営戦略として初めて、社会的価値と経済的価値を両立させることを明確に示したものと言えます。その後、医薬事業においてそれまで世の中になかったバイオ医薬品の開発を成功させ、患者さんにお届けできたことは、今日CSV経営で目指しているイノベーションによる社会課題の解決そのものでした。

キリングループにおけるCSVの原点は、「生への畏敬」

キリングループ内に医薬開発でも通用する発酵・バイオ技術が培われた背景には、祖業であるビール事業の醸造哲学にあります。1952年にノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァー博士が提唱された「生への畏敬(Ehrfurcht vor dem Leben)」という考え方です。シュヴァイツァー博士は、「われは、生きんとする生命にとりかこまれた、生きんとする生命である」、「善とは、生を保ち、生をうながし、発展し得べき生をその最高の価値にまで達せしめること」と語っています。

この考え方は、原料農産物の大麦やホップや水のみならず、それらをビールに醸し出してくれる微生物の酵母という自然の恵みや生命の働きに依存する事業を行っているキリングループにとって、深く共感するものでした。農産物や酵母の潜在力を最大に引き出し、最高においしいビールを造るには、生命の力を謙虚に学ばなければなりません。そうやって微生物を生化学的に研究し続けたことが、高度なバイオテクノロジーへとつながりました。また、生命の尊重は生命科学である医薬にも通じる哲学であり、技術的なコンピテンシーと合わせて数ある世界のビールメーカーの中でキリングループだけが医薬事業への参入を決断・成就できた要因となりました。

  • 1977年に作られた「醸造技術標準」。
    この冒頭に「生への畏敬」が記述されています

「生への畏敬」によって育まれたキリンの経営思想

シュバイツァー博士が残した言葉は、私たち人間も自然界にある生命の一部であり、動植物も微生物も、全てが相互に関連し合って共存していることを示唆しています。全てが関連し合っている以上、自分の利益だけを追求していては持続的な未来は望めません。キリングループにおいて「生への畏敬」は、自社の成長と社会の繁栄を両立させるというCSV経営の背景思想にもなっています。

キリングループが経済成長と自然保護の両立を目指す環境経営で世界をリードしてきたことも、「生への畏敬」の思想の表れです。地球環境問題は1992年のリオデジャネイロ地球サミットを契機にグローバルな課題となりましたが、キリングループはその前年の1991年に「地球環境問題への取り組みの基本方針」を発表し、これまでの公害対策中心の取り組みから地球全体を視野に入れた活動へと重点をシフトしました。現在私たちが掲げる「キリングループ環境ビジョン2050」でも、自社のバウンダリーを超えて自然や社会にポジティブインパクトを与えることが志向されています。

また、「生への畏敬」はCSVのみならずキリンの経営思想全般に大きな影響を及ぼしています。“One Kirin” Valuesで掲げる「Diversity」や、発展し続けようとする従業員一人ひとりの努力と個性を尊重し、完全燃焼できる場を積極的につくろうとする人事の基本理念「人間性の尊重」も、自分を尊重するのと同じ気持ちで周りの人々も尊重することや、授けられた生命を最大限活かすことを謳う「生への畏敬」の哲学そのものです。

このように、CSVという言葉をキリングループで使い始めたのは10年前ではありますが、今日のCSVにつながる経営は40年前、またその背景となる思想「生への畏敬」はさらにそれ以前から脈々と受け継がれてきたと言えます。キリングループはこれからも、このDNAを受け継ぎ、さらに発展させ、世界のCSV先進企業を目指していきます。