産地とともに発展する。受け継がれるメルシャンのDNAと、その先にある持続可能で豊かな世界

  • コミュニティ

2022年04月27日

  • 産地とともに発展する。受け継がれるメルシャンのDNAと、その先にある持続可能で豊かな世界

日本初の民間ワイン醸造所「大日本山梨葡萄酒会社」を源流とするメルシャンは、日本人にとってワインが親しみ深く魅力的な存在になるよう、自社のみならず日本のワイン産業全体の発展を目指して生産・製造技術の向上と普及に努め続けてきました。

メルシャンに受け継がれる、日本ワインの父 メルシャン勝沼ワイナリー工場長 故浅井昭吾の教えと哲学とともに、メルシャンが目指す未来の姿についてお届けします。

はじめにブドウありき――ワインの原料は唯一ブドウ

ワインの世界には「テロワール」という言葉があります。テロワールとは、ブドウ畑を取り巻く自然環境のこと。気象条件や土壌の性質、地形や標高をはじめとするテロワールが、ワインの味わいを決定づけます。

その理由は、ワインは唯一ブドウだけで作られているからです。酵母を入れて発酵を促すビールや日本酒とは異なり、ブドウは自らの酵母で発酵を始めます。水さえも必要としません。ブドウの果実は豊富な水分と糖分を含み、果皮には無数の酵母が付着。ブドウはそれ一つでアルコール発酵の条件を満たすのです。

そして、発酵は収穫直後から始まります。ブドウ畑のすぐそばにワイナリーがあるのもそのため。おいしいワインを造るにはブドウ農家とワイナリーの連携が欠かせず、原料産地での産業クラスターの形成が重要です。ワインの味わいは自然環境にも、地域に根ざした造り手にも影響され、まさに風土の産物といえるのです。

  • シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー 周辺は360度ブドウ畑に囲まれている

日本におけるワイン生産の歴史、その本格的な幕開けは1877年(明治10年)のこと。今もブドウの一大産地であり、ワインの銘醸地としても名を馳せる山梨県の勝沼町(現在の甲州市勝沼)に、メルシャンの源流ともいえる日本初の民間ワイン醸造所「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。
当時から昭和初期まで、日本で長らく飲まれていたのはワインに砂糖や清酒、香料などを加えた甘味果実酒でした。かつての日本人の食生活に、タンニンの渋味が利いたワインはなじまなかったのです。

メルシャンも長野県塩尻市・桔梗ヶ原のブドウ農家と契約し、甘味果実酒の原料となるブドウ栽培を進めていましたが、高度経済成長を背景とした食文化の西洋化がワインにも影響を及ぼします。1970年の外国産ワインの輸入自由化に同年の大阪万博で西洋の文化が鮮やかに紹介されたことが後押しとなり、1975年、ついに果実酒(テーブルワイン)の消費量が甘味果実酒を上回ります。

当時、甘味果実酒の原料として栽培していたのは、いずれも北米原産のナイアガラとコンコード。日本でも育成しやすく、強く華やかな香りが最適な一方、新たに求められた本格ワインの原料には適さず、売上の低迷で在庫の増大に耐えながら毎年の仕込みを行っていたといいます。

ブドウ農家と共に切り拓いた、日本ワインの可能性

  • 長野県塩尻市桔梗ヶ原でのメルロー栽培の様子

ワインはブドウのみから造られるもの。ブドウ農家とワインの醸造を担うメーカーは一心同体です。甘味果実酒の衰退をただ甘んじて受け入れるだけでは、日本のブドウ農家も日本のワイナリーも潰えかねません。

そうした苦境に立ち、日本ワインの歴史を大きく動かしたのが、浅井昭吾でした。浅井は求められる本格ワインを造るべく、土地に根付いたナイアガラ、コンコードの栽培をやめ、欧州のブドウ品種の栽培を農家の方々に提案します。日本の風土で欧州品種が育ちづらいことは明治時代から変わらぬ定説であり、浅井の決断は大きな挑戦でもありました。

「どうしてもやるなら、メルローかな」――。そう言ったのは、桔梗ヶ原のブドウ農家で欧州品種を試験栽培されていた林農園の林幹雄さんでした。桔梗ヶ原の風土、つまりはテロワールを最もよく知る人です。浅井はその言葉に賭け、暗中模索の試みに不安を覚える他の農家の方々も説得し、1976年、桔梗ヶ原でのメルロー栽培がスタートします。

メルローは、フランスのボルドー地方原産のブドウ品種です。ほかの欧州品種よりも病気や寒さに強い特性を持ちますが、桔梗ヶ原のメルロー栽培は前途多難でした。病気に見舞われ、寒波に見舞われ、そのたびに海外の技術を参照し、自然に学びながら苦節9年、1985年にようやく優れたブドウが収穫でき、初のシングルセパージュの製品化に至ります。

そのワインは2年間の熟成の後、『シャトー・メルシャン 信州桔梗ヶ原メルロー 1985』として発売され、1989年には権威ある「リュブリアーナ国際コンクール」において大金賞を受賞。浅井の挑戦が明治時代から変わることのなかった定説を覆し、日本でも伝統国に劣らないワインを造れることを証明した瞬間でした。

「甲州」を世界に誇れる品種に育てるための技術公開

  • シャトー・メルシャン 甲州のファーストヴィンテージ

桔梗ヶ原での奮闘が実を結びつつある最中、浅井はもう一つの挑戦をしていました。その挑戦とは、日本固有のブドウ品種「甲州」を世界に誇れる品種に育て上げることです。甲州は明治時代から山梨県を中心に盛んに栽培され、白ワインの醸造にも積極的に用いられてきましたが、“個性がないことが個性”と評されていたのです。

メルシャンは1970年代からヨーロッパに事務所を置き、海外の醸造技術をつぶさに学んでいました。そこで得た知見の一つが、フランスのロワール地方発祥の「シュール・リー製法」です。白ワインの製造工程では通常、オリのにおいがワインに移ることを防ぐため、熟成の段階で樽やタンクの下に沈んだオリを除去する作業を行いますが、健全できれいなオリを取り除かず、約半年間にわたって共に低温熟成させるのです。

  • 国産初、シュール・リー製法でつくられたワイン

低温熟成によってオリは次第に分解され、アミノ酸などを生成。これらの成分がワインに溶け込み、味わいに深みや幅を与えます。この知見を得たメルシャンは1983年、甲州のワイン造りにシュー・リー製法を導入。すると、それまで個性のなかった甲州ワインが、飲み応えがありながらもキリッと辛口のワインに生まれ変わったのです。

シュール・リー製法の甲州ワインは、当時の国内で大ヒット。ここで浅井は、企業秘密ともいえるこの製法を、1985年に他のワイナリーに惜しみなく公開します。テロワールによって味わいが決定づけられるワインは、ブドウの産地全体が評価されてこそより高く価値を認められるもの。技術を独占するよりも、日本におけるワインの製造技術を高めることに重きを置きました。

甲州ワインへのメルシャンの挑戦は、その後も続いています。
2004年には、ワインの香りの世界的権威であるボルドー大学と共同研究に取り組み、同大学の富永敬俊博士とともに甲州から初めて柑橘系の香りを引き出すことに成功。この技術を用いた白ワイン『シャトー・メルシャン 甲州きいろ香』を発売し、海外で高い評価を獲得しました。
この時も、メルシャンは研究成果を公開し、他ワイナリーにノウハウや技術を伝えます。日本ワイン産業全体に貢献する浅井の思想は、メルシャンの哲学に受け継がれているのです。

海外への技術指導が生んだ、両国の発展と深い絆

  • メルシャンがかつて技術指導を行ったチリ「コンチャ・イ・トロ社」のワイナリー

産地とともに発展するという哲学は、海外とのビジネスにも見て取ることができます。
日本国内でメルロー栽培に乗り出したのと同じ1970年代、メルシャンは、国内ワイン市場の拡大に伴い不足するであろう原料の確保のため、世界中から原料やバルクワインのサプライヤーを探索していました。その際も、手に取りやすい価格でありながら本格派かつ日本人の舌に合う味わいのワインを製造すべく、海外のワイナリーにも自らの知見や知識を積極的に公開したのです。

メルシャンはサプライヤーとして南米のアルゼンチンやチリなどを選定しましたが、現地のワイン醸造の技術はどこか未成熟でした。そこで浅井は1976年、77年の2度にわたり、今やいずれも世界的なワイナリーとなったアルゼンチンの「ペニャフロール社」とチリの「コンチャ・イ・トロ社」へと技術指導に赴きます。

例えばアルゼンチンでは、収穫されたブドウを載せたトラックが荒れた道を揺られながら約25km先のワイナリーへ向かう光景が見られました。その間にブドウは自然発酵を始めている有様です。すでに日本ではトラックの荷台に「ピロ亜硫酸カリウム」を敷くことで輸送中の発酵を抑える技術が確立されていましたが、当時のアルゼンチンには知識がなく、浅井の助言によって解決策を見出したのです。

するとワイナリーのアルゼンチン人は、こう言いました。「これで自分たちのワインをアメリカに輸出できる」――。技術指導の元々の目的は日本の消費者がおいしく味わえる“メルシャン・スペック”のワインを輸出してもらうためでしたが、提携先にも大きな恩恵をもたらし、互いの間に強いパートナーシップを生んだのです。

浅井はチリのワイナリーに対しても綿密なレポートによって改善点を示し、それをきっかけに「コンチャ・イ・トロ」は名実ともにチリを代表するワイナリーへと成長しました。技術指導から40年以上が経過した2022年においてもメルシャンの輸入ワイン事業のパートナーであることが、互いの信頼関係を物語っています。

メルシャンの目指す ワインのある豊かな時間

桔梗ヶ原でのメルロー栽培も国内外への技術公開も、その根幹にあったのは、ワイン文化とワイン産業は産地全体で発展させなければならないという哲学と熱意でした。現在、シャトー・メルシャンが掲げる「日本を世界の銘醸地に」というフィロソフィーも、浅井から綿々と受け継がれるDNAを言語化したものです。

日本でメルシャンが目指しているのは、ワインの伝統国では当然のように見られる、おいしいワインが食卓にある光景。ワインは食事と共にあり、食事と共に味わうワインが食卓に人を呼び寄せ、食卓に集う人たちの会話を弾ませます。人と人とのつながりの希薄化による孤独や孤立が社会問題化するなか、ワインはコミュニケーションを引き出し、生活を豊かにしてくれる存在になると信じています。

日本のワイン消費量は平成の30年間で3倍以上に伸び、ワインが日本の食卓に定着しつつあることを示唆していますが、1人当たりの年間消費量はフルボトルにして約4本。メルシャンが目指す光景には、道半ばなのが現実です。

  • 左から『メルシャン・ワインズ ボルドー』、『メルシャン・ワインズ ブレンズ パーフェクトブレンド 赤』、『メルシャン・ワインズ ブレンズ パーフェクトブレンド 白』

そこでメルシャンは2022年3月、新たにメルシャン・ワインズをスタートさせました。お客様の「ワインを飲みたい気はあるものの、失敗したくない。どれを選べばいいか分からない」というお声を受け、メルシャンがこれまでに築いた海外とのパートナーシップを大きな糧に、世界のワイナリー・世界の産地と共創していくブランドです。

日本初の民間ワイン醸造所に端を発し、日本におけるテーブルワイン普及の黎明期から「適地・適品種」というコンセプトのもと、日本人の舌に合うワインを追求し続けてきたメルシャンは、世界の厳選したワインを掛け合わせ、圧倒的においしいワインをご提供します。

また、<環境への負荷軽減><産地との共存><人への負担軽減><情報の見える化>という4つのクレド(約束)を掲げています。
例えば、『メルシャン・ワインズ ボルドー』のパートナーである「ヴィニョーブル・マンゴー社」は、環境や植物および所有するブドウ畑で働く人々に配慮し、10年以上前から農薬の使用制限と削減を行っているワイナリー。メルシャン・ワインズでは、同社を含むパートナーの取り組みをブランドサイトで公開し、お客様に造り手の想いを伝えています。

テロワールという言葉が示す通り、ワイン製造は土地に深く根ざした産業です。上質なワインを造るには土地の風土を熟知する必要があり、それは短期的には実現不可能なこと。ワイン産業は、サステナブルという言葉が注目されるずっと前から産地とともに持続的な発展を志向してきました。

日本人にとってワインが身近になり、食卓にはワインがある――。メルシャンが目指す光景は、社会にどんな価値をもたらすのか。メルシャン・ワインズの開発プロジェクトリーダーを務める山口大輔、かつて浅井と共に欧州のワイナリーを巡った経験を持ち、現在は技術部長を務める大滝敦史は、それぞれこう話します。

「持続可能であることが、当たり前に根付いているのがワイン業界です。1杯のワインの向こう側に、ブドウ畑にまでつながるストーリーが詰まっています。頭ではなかなか理解しづらいサステナブルという概念もワインを通して見れば、きっとその豊かさを感じることができます。4つのクレドと共にお届けするメルシャン・ワインズがお客様の食事のひとときを豊かにし、ひいてはワイン産業が持つサステナブルな魅力を知るきっかけになれたら、と思っています」(山口大輔)

「長年大事にしてきた契約農家さんとの信頼関係やメルシャンクオリティへの自負があるからこそ、私たちは積極的に技術を公開することができたと感じています。そして、ワインをさらに日本の食卓に浸透させるには、今後も変わらず、私たちメルシャン自身が品質向上を続けることが欠かせません。自社に受け継がれるDNAをこれからも大切に、日本のワイン産業と文化を牽引していきたいと思います」(大滝敦史)

プロフィール

山口大輔

2001年メルシャン入社、営業部門で家庭用・業務用営業を経て2007年よりマーケティング部へ、同部でシャトー・メルシャンや海外パートナーのブランド・マネージャーを務める。2017年から4年間欧州事務所勤務を経験しパリを拠点に数多の本場のワイナリーを訪問、2021年春よりメルシャン・ワインズの開発プロジェクトのリーダーを務める。

大滝敦史

1992年メルシャン入社。藤沢工場・勝沼ワイナリー経験後、1997年フランス・ボルドーにシャトー・レイソン駐在として渡仏し、ワイナリーで栽培、ワイン造りの実務を行いつつ、ボルドー大学醸造学部認定DUAD(ワインテイスティング適正資格)を取得。欧州駐在・藤沢工場やシャトー・メルシャン副工場長などを歴任したのち、2022年春より生産・SCM本部 技術部長を務める。

関連情報

※所属(内容)は掲載当時のものになります。

価値創造モデル

私たちキリングループは、新しい価値の創造を通じて社会課題を解決し、
「よろこびがつなぐ世界」を目指しています。

価値創造モデルは、キリングループの社会と価値を共創し持続的に成長するための仕組みであり、
持続的に循環することで事業成長と社会への価値提供が増幅していく構造を示しています。
この循環をより発展させ続けることで、お客様の幸せに貢献したいと考えています。