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キリングループのこれまで環境変化に柔軟に対応しイノベーションを創出

高度経済成長期にビール人気沸騰、シェア60%に到達

高度経済成長期、キリンはビールの生産・販売・物流面で大幅に能力を拡充しました。さらに1963年には清涼飲料事業の充実を図り、1972年には洋酒事業にも参入。また、キリンビールは12工場体制となり、シェアは60%に達しました。

1970年代 ビール出荷量・シェア推移(国内)

経営を多角化、ビールを中心に豊かな暮らしを応援

1980年代に入ると、ライフサイエンス分野への進出を図り、現在につながる医薬事業に本格参入しました。また、多角化経営を推進するために、新しい企業イメージの構築と企業体質の改善にも取り組みました。

1980年売上高

キリンホールディングス発足

創立100周年を迎えた2007年、「キリンホールディングス株式会社」を発足。純粋持株会社制を導入し、グループ経営を強化しました。2013年には日本綜合飲料事業をさらに推進していくために、「キリン株式会社」を設立しました。

グローバル化を推進

アジア・オセアニア地域のリーディングカンパニーを目指し、オーストラリアや中国、フィリピン、ミャンマーなどへ事業を拡大。医薬・バイオケミカル事業では2008年に「協和発酵キリン株式会社」を発足させ、バイオテクノロジーを活かし、グローバル医薬品の開発に取り組んでいます。

売上収益・事業利益の割合

【前史】
ジャパン・ブルワリー・カンパニー設立

高度経済成長期、キリンはビールの生産・販売・物流面で大幅に能力を拡充しました。さらに1963年には清涼飲料事業の充実を図り、1972年には洋酒事業にも参入。また、キリンビールは12工場体制となり、シェアは60%に達しました。 1885年、ビール事業が将来有望であると見込んだ横浜山手の在留外国人たちがジャパン・ブルワリー・カンパニーを設立。日本人好みの本格的ドイツ風ビールを目指し、原料から醸造機械にもこだわり、資格を持ったドイツ人技師による醸造で、1888年に聖獣“麒麟”をラベルにした「キリンビール」を発売しました。

激化するビール競争の中で、1907年、麒麟麦酒会社創立

1900年代に入り、日本のビール業界は激しい競争の時代になりました。そうした中、岩崎家、三菱合資、明治屋の関係者たちはジャパン・ブルワリー・カンパニーの経営を操業状態のまま引き継ぎ、1907年に「麒麟麦酒株式会社」を創立。定款には100年先の未来を見据えた志が記されました。